大正11年 | 相澤保治商店を創業。東京都内の金物問屋及び関東地方の小売店を回る。扱い品目を刃物、鑢に絞り販売。 |
昭和25年 | 初代没後、扱い品目を、鑢、刃物から、地場産業のステンレス製生活雑貨及び、厨房用品に移す。 |
昭和43年 | 銅製品の輸入市場に着目し、伊勢丹研究所と共同で銅製の厨房用具を国内で初めて開発に着手する。以後今日まで銅製の調理用品の開発は継続している。 |
昭和45年 | 坂屋大阪店、天満進出2周年記念催事として、新潟県物産展の開催が企画され接渉役として依頼があり接渉の結果新潟県、燕市の予算を得て開催された。尚、同催事の一環とし、燕物産展を市、会議所、各組合の協賛をうけ、単独開催。この経験を生かし小田急百貨店新宿店の『越後路の名産展』、東急百貨店日本橋店の『大越後展』などで燕物産展示即売会に参画。 |
昭和48年 | 初代の遺志を継ぎ、創業からつながりの有る三条鍛冶職人の協力により日曜大工100点を売り出す。 |
昭和50年 | 自宅での営業が手狭になり小関工業団地に進出する。この年工業デザイナーの羽生道雄を中心としたモノプロ工芸株式会社と業務提携を開始『モノプロ+BOXER』のシリーズ名で共同開発に取り組む。 |
昭和51年 | 本年7月1日付にて、株式会社アイザワを創業。個人組織から法人組織に改組。 |
昭和52年 | 新社屋落 |
昭和61年 | 本年10月に、『モノプロ+BOXER』シリーズの表面にエポキシ樹脂加工を施した黒いテーブルウエアがニューヨーク近代美術館の永久保存コレクションに選定される。 |
平成元年 | 新潟県三島郡寺泊町に、企業メセナとして相澤美術館を開館。 |
平成16年 | 平成16年12月をもって寺泊の相沢美術館閉館。 |
| 現在に至る。 |